5日と20日は歌詞と遊ぼう。

毎月5日と20日に、J-POPやボカロ曲などの歌詞を読んだり、統計したりしています。twitterは@hacosato。

中川あゆみ『 事実 〜12歳で私が決めたコト〜』

-自分で自分を幸せにすること-
こんにちは。三寒四温ってこの時期の言葉でしたっけ? 移り気なお天気に翻弄されっぱなしな毎日です。…と思ったらGW以降、気温は高値安定のようです。
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さて、今回 取り上げるのは『 事実 〜12歳で私が決めたコト〜』。サブタイトルが目をひきますね。たくさんの曲のタイトルが並んでいる中では、このタイトルはものすごくキャッチーです☆

7年前 私は三原あゆみだった
突然6人の顔見知りの大人たちが私の前で
言い争いをして
私は中川あゆみになった

歌詞の内容も、惰性なんかでできていない感じ。三原あゆみという名前だった歌い手は、6人の大人たちの争いのあと、中川あゆみという名前に変わります。つまり、これは両親の離婚から始まる曲、というわけですね。そんな『 事実 〜12歳で私が決めたコト〜』の歌詞を、読んでいきたいと思います。

歌詞はこちら→http://www.uta-net.com/user/phplib/view_0.php?ID=92144
構成はこちら→A-A-サビ-サビ-A-A-サビ-サビ-C-(間奏)-サビ'-サビ

つまり、いつなにが…?

中川あゆみオフィシャルサイトによると、彼女は「事実だけを歌うことに決めた13歳の女性シンガー」とのこと。せっかくなので今回は、普段の私とはスタンスが違いますが、中川あゆみにならって事実をちょっと下調べしましょう。退屈なヒトは読み飛ばしどうぞ。
この曲、いつに何が起きたのかがかなり込み入った構成になっています。ものごとを起こったままに描こうとするスタンスだから、曲のためにできごとを単純化したりとかはしないんですねきっと。最初に前後関係などを整理してみましょう。
歌い手の中川あゆみ、歌っている時点では13歳とのこと。歌詞を書いた時期がいつなのか分かりませんが、13歳で書かれたことにしましょう。
冒頭に「7年前 私は三原あゆみだった」とあります。13歳から見て7年前ですから、両親の離婚は6歳ということになります。
もうひとつ重要なのはサブタイトルにもある12歳。これは13歳の時点から見て1年前になります。さて2番の冒頭に出てくる「卒業式」は、小学校の卒業式でしょうね。サブタイトルにある12歳は、小学校の卒業式を迎える年です。「卒業式」が登場する2番の冒頭はたぶん、この歌詞ですごく重要な場面になりそう、ってのもなんとなく分かりますね。
歌詞を読み進めると分かりますが、この卒業式にはサングラスをかけた女性が登場します。この女性に対して、あゆみは、

あなたの頭の中で生きているのは7歳の私でしょう

と歌っています。これも要チェック。7歳のあゆみを知っている人物が出てくるわけですね。
これらをまとめるとたぶん、こんな図が描けるはずです。

三原あゆみの境界線 -6歳から12歳-

というわけで、今回はこの整理に従って話を進めてみましょう。最初は6歳から12歳編。
彼女が6歳のとき両親は離婚し、彼女は名字が変わったようです。2つめのAメロには

私は目についた三原のふた文字を無我夢中で消した

という部分があります。イメージするとかなり切迫した感じですね。
自分の名前が変わるって、どういう感じなんでしょう。自分の名前を無我夢中で消すって、どういう感じなんでしょう。
幸い、(と言っていいのかどうかわかりませんが、)私にはそういう経験はありません。でも、きっとすごく辛い経験なんだろうとは思います。名前が変わることは、アイデンティティの危機だと思うから。
私は自分の本名、そんなに気に入っていません。名字はありきたりだし、下の名前はひと世代前の感じなのです。でもこんな私でもきっと、私自身の本名にはすごく依存しているんだと思います。自分の名前が変わってしまったら、私は思うでしょう。自分のものだと思っていたはずの名前は、本当は自分のものじゃなかったんだ。じゃあ、余計なものをどんどん削ぎ落として、限界まで行き着いた先に残る自分自身って、一体なんなんだろう、と。そんなふうに考えて、ぐるぐるして、自分はどれだけ自分の名前に頼っていたのかを思い知るのです。
中川あゆみにとって、その問いの答えは「あゆみ」だったんだろうと思います。「目についた三原のふた文字を無我夢中で消した 」先で、彼女は初めて「あゆみ」と出会ったみたいに思うのです。「あゆみ」は、疑い始めた彼女が、もう一度 信じることのできる初めての存在になったのです。
逆に、自分のものだと思っていたのに自分のものではなかった「三原」を、彼女は徹底的に消し去ろうとしていますよね。最初からそんなものはなかったというかのよう。どうしてでしょう。私はふたつ考えました。
ひとつは大人との関係。小学1年生じゃ、大人に頼らずには生きていけません。新しい場所で新しい名字になった彼女にとっては、前の自分の名残である「三原」を残していたら新しい環境でうまく立ち回れなくなるかも、と危惧するのは自然なことです。新しいカレには、元カレがらみのグッズを見せびらかしたりしないですもんね。
それからもうひとつは、再びアイデンティティの問題。自分のもののような、そうじゃないような、そういう境界線上のものごとに対して、私たちは一般にかなり強い嫌悪感を持っています。例えば、つばやよだれはいつも口の中にあるのに、それが寝ている彼氏の口からちょっと垂れたりしたらそれってやっぱり汚いものみたいな気分になりません? それはよだれ自体に毒があるとか、細菌まみれだとか、そういうことが理由なのではありません。それが私たちのものかそうでないか、あやふやな境界上にあるからです。中川」になりたての彼女にとって、「三原」ってそういうものだったのかも、って私はちょっと思いました。境界線上のものごとに対しては、いい気持ちを持ち切れないものなのだと思います。

手紙と一緒に破るもの -12歳でのできごと-

さて、12歳でのできごとを今度は追いかけてみましょう。この歌詞には小学校の卒業式のエピソードがあります。2番の最初のAメロです。

卒業式 私は視線を感じてた
サングラス越しのその顔に私は確かに見覚えがあった

彼女の卒業式には、見覚えのある顔の人物がやってくる、という事件があったみたい。彼女は次の連で、

あなたの頭の中で生きているのは7歳の私でしょう

と歌っています。サングラスの人物は、昔のあゆみ(つまり三原あゆみ)を知っている人だっていうことがこのあたりから想像できます。生みの親とか、そういう感じかもしれません(分かりませんけど)。
ここで、この曲の中で一番の事件が起こります。2番の最初のAメロは、

彼女が差し出した
手紙を私は破り捨てた

と続くのでした。
たぶん、サングラスの女性は成長したあゆみに会いたいと思ってわざわざやってきたのだとは思いますが、あゆみはこの女性に対してかなり手厳しいあしらいです。きっとあゆみは、女性の目の前で手紙を破ってやったのでしょう。たぶん結構あたたかい感じの言葉が書いてあっただろう手紙を、です。
この行為の理由は、さっき「三原のふた文字を無我夢中で消した」のと同じような感じ、ですよね。そのサングラスの女性が思い描いている7歳のあゆみといったら、あゆみが中川あゆみになりかけていたころに該当します。まだ三原あゆみが濃厚に残っていたかも。そういう過去の自分は、現在の自分のちょうど端っこの境界線の上にあって、だから気持ち悪いのです。だから手紙だって破いてしまうのです。

あなたの頭の中で生きているのは7歳の私でしょう
でももう私はあの頃の私じゃない わかるかなぁ
私は別のあゆみなの

しかもこの挑発的な発言! だからこそこの曲には他の曲にはない価値があるし、だからこそこの人は大人から叩かれるんですけど、それにしても濃厚ですね。ひと世代上の年齢の人物を「あなた」と呼び、「わかるかなぁ」と歌ってにやりとするなんてっ!(←「にやり」はないだろ)

「12歳で私が決めたコト」ってなに? -12歳以降-

そのあとにはもうAメロはなくて、サビとCメロだけが残されています。サビのフレーズに注目してみましょう。1番に出てきたサビは、

誰がつけたのだろう あゆみという私の名前

こういう歌詞でした。それが最後の方に出てくるサビでは、

誰がつけたのだろう あゆみという私の証

こんなふうに変わります。このふたつ、意味がまるきり違うんだと私は思うのです。
1番のサビのフレーズは、文字通りに捉えていいものだと思います。私の名前をだれがつけたのだろう、と歌う彼女は、自分のアイデンティティの源泉を探しています。そして自分の名付け親に思いを馳せてイメージを膨らましているみたい。
ところが後半のサビに出てくる「あゆみという私の証」といったら、ここに出てくる「あゆみ」は名前の「あゆみ」ではなくて、ここまで自分がたどってきた道のりにつけた「歩み」のことなんじゃないかと思うのです。だって、「名前をつける」なら目的語が動詞と合っている感じですが、「証をつける」だとちょっとちぐはぐですもん。それが「歩みをつける」ならありかな、って私は思から(まだちょっと変ですけど)。
つまりこの部分って、ここまで自分がたどってきたプロセスはだれのものだろう、と歌っているのではないでしょうか。彼女がたどってきたプロセスは、彼女自身のものです。ですよね。曲の初めのうちは、彼女は名付け親にこのフレーズを歌っていました。それが後半になると、自分自身に歌うように変わります。

生まれた後は全部私の責任でしょう
だから私はあゆみを幸せにするよ

Cメロにあるように、彼女にとって、大人の愛情は「無責任」です。だからこそ、「生まれた後は全部私の責任 」って考えないと辛いんでしょう。じゃあ責任ってなに?
ここでは、最後の最後まで自分に関係のあることとして考えること、って意味かな、と私は思います。あゆみは過去に、大人から切り離されてしまった過去があります。自分自身を絶対に裏切らない存在は、自分自身だけだ、そう悟ったのでしょう。
12歳のときに手紙を破って、そのときに決めたことは1年ぐらいかけてやっとうまい感じで言葉になってきたんだと思います。「12歳で私が決めたコト」はなんだったのでしょう。彼女にとってそれは、自分自身の力で、自分を幸せにしよう、ってことだったのです。

まとめ

前回 私が取り上げたのは、THE BLUE HEARTS『1001のバイオリン』。今回の曲とはずいぶん毛色が違うみたいに見えますね。共通点は「消す」。
1001のバイオリン』では、「ヒマラヤほどの消しゴム」を使って、曲の冒頭からいきなり過去を消しに入ります。それがどんな過去なのかは明示されていませんが、「支配者」の下できっと楽しくない毎日が続いていて、そこから抜け出すための消しゴムだったんじゃないかと私は考えたのでした。
『 事実 〜12歳で私が決めたコト〜』においては、中川あゆみという名前になった主人公が、過去の名前である三原あゆみを「無我夢中で消した」シーンが出てきます。こうすることで別の自分になって、新しい環境でなんとか生き延びて、自分自身のアイデンティティをぎりぎりのところで確保して、そうやって生きてきているのです。
どちらの曲でも、消しているのは過去です。そして、それは未来にきちんと貢献しています。「消す」っていうとどうしたってネガティブな響きがつきまといますが、少なくともここに出てきた2曲はそんなことはないのですね。



さて、今回はいつもと違うやり方で書いてみました。結局は普段と同じ感じになってしまったような気もしますが、残念なことに自分自身ではちょっとよくわからないや…。
ところでこの曲、どう考えても中心になっているテーマは自分自身のことだよなあ、と思ったですが、このあと「事実だけを歌う」彼女がどんな曲を書くのか、私はちょっと楽しみにしながら待っています。今の彼女は自分で自分を救っていますが、これを続けきれるぐらい強い人って、世の中にはそんなにいないと思うのです。今後、だれか、彼女を助ける人が出てくるんじゃないかな、とかってそんなことを考えたりしてます。

(10/12/12追記)
なんと、ナマ中川あゆみ見ました☆ すごい。この曲のアコースティックバージョンを披露してましたよ。
音楽的なことはわからないのでほかのブログとかで探してくださいねー。私が思ったのはひとつ。『大人を見て思うこと』の歌詞がまた読み応えありそう!ってこと。これはまたどっかのタイミングで読み込んでみなきゃ! このヒトのラブソングを読みたいなんて思ってた自分が安直だったなぁって思った日曜日です。そっか、こういう世界だったんだ。
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