5日と20日は歌詞と遊ぼう。

歌詞を読み、統計したりしています。

Whiteberry『桜並木道』

-夢と友情のさじ加減-
こんにちは。
桜並木道
3月末には3月末にふさわしい曲を。今回は『桜並木道』を取り上げます。すごく気圧の高いメロディと気圧の高い歌詞。

ドキドキのちっちゃな種をうえて 誰よりも大きくなって
桜舞う 私の心舞う そこで 君と会いたい!!

というメッセージはすっごくストレートです。
ところで、前回はスピッツ『チェリー』を取り上げました。その曲は

いつかまた この場所で 君とめぐり会いたい

という終わり方でした。「君と会いたい」ってところが、『桜並木道』と同じです。でも、その意味するところはちょっと違いがあるみたい。今回はそれを考えます。

歌詞はこちら→http://www.uta-net.com/user/phplib/view_0.php?ID=15104
構成はこちら→A-B-A-(間奏1)-A-B-A-(間奏2)-B-A-アウトロ

歌詞

走る、走る、走る

とにかく、すごい勢いで「走る」曲です。歌詞にも繰り返してこの単語が出てくるし、メロディも駆け抜けるよう。スピッツ『チェリー』も、たむらぱん『ちゃりんこ』も、途中で立ち止まったりしていましたが、『桜並木道』は冒頭から最後まで走り通し。
「走る」表現は2か所に出てきます。

ぎりぎりで今走ってるヨ!! あたし だから強いって言ったでしょ
「ガンバルヨ!!」ひまな時でイイから メールちょうだいネ!!

カタカナの織り交ぜ具合が個性的な、1番の2つめのAメロです。そして、

シャカリキカリキ走ってるヨ!! あたし 口に出して言えないけど
「ガンバルヨ!!」もっと大きくなって 君と会いたい!!

さっきよりもさらにカタカナが強い、2番の2つめのAメロ。
かなり走っている印象がありますが、「走る」が直接に出てくるのはこの2か所だけです。そして、カタカナがこれだけ混ざっているのも全体を通じてここだけです。1番2番のそれぞれ2つめAメロ。「走る」が出てくるこの2か所だけ、なにか特別みたいです。
どういう部分にカタカナが入っているのかに注目すると、文末の「ヨ」とか「ネ」とかがカタカナ化していることが分かります。呼びかけに使う終助詞です。前にもスキマスイッチ『奏』で終助詞には注目してみたことがありました。見比べてみると、ひとつ気がつくことがあります。そもそも呼びかけの表現が入っているのが、この2か所だけだ、っていうことです。つまりこの部分だけは、だれかに向かって呼びかけている、ほかとは違う連だということになります。
じゃあ、だれに向かっての呼びかけ?

君、桜、別れ、つまりは…

この呼びかけ部分、「君」に向かって話しかけている部分ですが、「君」ってだれなんでしょう?
私は、主人公の友だちだと思いました。
「ひまな時でイイから メールちょうだいネ!!」って距離感は、恋人だとするとちょっとよそよそしい感じだし、それ以外だとするとちょっと近すぎる感じです。家族だったら「君」って呼んだりしないし。ひまなときに「ひまだよ。特に用はないけど元気?」とかってメールし合える仲といったらやっぱり友だちだと思うのです。
この曲にはお別れが出てきて、桜が出てきて、夢が出てきます。この3つのキーワードだけでも、シチュエーションは簡単に浮かんできます。
この曲は、卒業の曲です。
なら、さっきの「走ってる」がどこに向かって走っているのか、考えるのはカンタンです。
2番2つめのAメロ、2度めの「走ってる」の直前に、こんな表現があります。

強く 強く 目指すのは大好きな自分

この部分、Aメロに何度か出てくる「大きくなって」も連想させますね。
「あたし」は、自分の夢に向かって走っているのです。

「あたし」と「私」とその間

ここまで、1番と2番のそれぞれ2つめのAメロばっかり注目してみてきました。ここだけ呼びかけの表現があるなど、いろいろと特徴的でした。
ところでほかの部分に目をやってみると、肝心なことを見落としていたことに気づきます。
これ以外の部分、一人称が「私」になっています。
この曲は「あたし」と「私」が出てくるのです。
おさらいすると、「あたし」が出てくるのは、

走ってるヨ!! あたし

という表現の中だけでした。一方で「私」が出てくるのは

桜舞う 私の心舞う そこで 君と会いたい

という部分です。一人称はこの2通りの使い方しか出てきません。
見比べてみると、「走ってる」という現在進行形の動詞のところで「あたし」が出てきます。一方で「桜舞う 私の心舞う」っていったら、未来の出来事みたいです。
「私の心舞う」は、私の夢が叶うことを表していると思います。「夢が咲く」という表現がありますから、咲いた夢の花びらが舞うようなイメージ。そして、夢が叶うのは未来のことです。
つまりこの歌詞では、現在の自分を「あたし」と呼んで、未来の自分を「私」と呼んで、そのふたつを使い分けているみたいです。
「あたし」って呼ぶとなんかプライベートな感じで、呼びかけが続く連にもしっくりなじみますが、「私」って呼ぶとちょっとフォーマルな感じがして、成長した自分自身をなんとなくイメージさせます。

「雨降ったらカサ」…と、唐突に雨?

ガタガタの一方通行で見えない 100m先の景色 不安
雨降ったらカサ・迷ったら聞け!! 桜並木道

最後のAメロです。ぐいぐい歌詞が詰め込まれる感じ、卒業間際にぴったり。
ここで突然に雨が出てくるのは、どうしてでしょう。
レミオロメン『3月9日』のところにも出てきましたが、唐突な表現があったら比喩を疑いましょう!
『3月9日』では、唐突な表現と同じ構造の文がすぐ近くにあって、それが解説の役割になっていたのでした。今回も、それと同じです。
「雨降ったらカサ」と同じ構造の文…直後に出てきます。「迷ったら聞け!! 桜並木道」です。「桜並木道」ってこの曲自身のことだと思いますから(曲そのものを三人称で呼ぶのって珍しいですね)、きっとこういうことでしょう。
雨が降ったらカサをさすのと同じぐらい当たり前のこととして、迷ったら『桜並木道』を聞くよ。
きっとそういうメッセージなんでしょう。

この曲はこんな風に、細かい比喩にもおもしろいのがたくさん出てきます。好きなところはいくつもありますが、たとえばここ。

言えない「バイバイ、バイバイ、最後のバイバイ」
終わりをさけて歩いてたあの頃

ぎりぎりで今走ってるヨ!! あたし だから強いって言ったでしょ

2連から3連にかけてです。「バイバイ」と繰り返す押韻には切迫感があってぐっときます。この「バイバイ」は、「君」=友だちに向けての「バイバイ」でしょう。だから、終わりをさけて「歩いてた」のです。
それが、今は「走ってる」って表現に変わります。さっきまでは歩いていたのに、今度は走るわけです。
私はこう考えました。
歩いていたのはきっと、友だちと一緒にいたからです。走っているのはきっと、今はひとりになったからです。
きっと歩くのときはだれかと一緒のペースで、走るときは自分自身のペースで、進んでいけるんでしょう。

まとめ-「君と会いたい」の違い-

さて、冒頭の疑問に立ち返ってみましょう。
『桜並木道』では、

ドキドキのちっちゃな種をうえて 誰よりも大きくなって
桜舞う 私の心舞う そこで 君と会いたい!!

という表現の中で「君と会いたい」が出てきました。ここまで「桜舞う 私の心舞う」は、主人公の夢が叶うことを表しているんじゃないかな、と読んできたんでした。卒業のため、夢を叶えるため、「君」とは離ればなれになってしまった主人公ですが、また夢を叶えたときに「君」と再会したい、というのが強いメッセージとして私たちの元へちゃんと届きます。
翻って、スピッツ『チェリー』ではどうでしょう。
『チェリー』では、

「愛してる」の響きだけで 強くなれる気がしたよ
いつかまた この場所で 君とめぐり会いたい

という歌詞でした。「君」への未練が残りまくっているように見えた部分です。でも『桜並木道』に比べて、「君」との再会は困難です。「君とめぐり会いたい」はずっと、叶わぬ夢として描かれていたのでした。
『桜並木道』の場合、「君」への距離はそんなに遠くありません。それはきっと、主人公が走り続けているからです。一方で『チェリー』の場合、「君」への道はかなり険しいものでした。それは「僕」が立ち止まっていたからです。
きっと、「君」に出会うためには、自分からアクションを起こし続けていくことがいつも必要なんでしょう。
『桜並木道』では、君との再会が自分の夢を叶えることとリンクさせてあるのがステキです。夢と友情はどっちを優先したらいいんだろう、とか考えてしまいがちですが、どっちも上手に目指す方法が、きっとあるんですね。
そしてどちらの曲も、再会が桜と結びつけられているのが興味深いところ。桜って年に1度の開花の時期だけ、化けたように違う姿を見せますよね(しかも、「花」って漢字の中に「化」が入ってるし)。それが再会のイメージに符合するんじゃないかと思います。それに、桜の時期は出会いと別れの季節、なのでした。



卒業されるみなさんへ。ご卒業おめでとうございます!https://itunes.apple.com/jp/album/ying-bing-mu-dao/id597851562?i=597851735&uo=4&at=10lrtS
iTunesWhiteberryがあるという事実だけでテンションが上がる♪