5日と20日は歌詞と遊ぼう。

毎月5日と20日に、J-POPやボカロ曲などの歌詞を読んだり、統計したりしています。twitterは@hacosato。

たむらぱん『ちゃりんこ』

-「涙」と「桜」のシーソーゲーム-
こんにちは。寒いですが、お元気におすごしですか?

ちゃりんこ / ちょうどいいとこにいたい

今回はあまり有名ではないかもしれませんが、最近の私が好きな曲を取り上げたいと思います。
『ちゃりんこ』とは安っぽい響きに聞こえるかもしれませんが(しかも歌い手の名前は“たむらぱん”と聞いたらなんじゃそりゃ?とか思うかもしれませんが)、なかなかどうして、平易なのに噛み応えのある歌詞でびっくりです。

回転を早めてこいで自転車をとばす
始まりの季節を感じながら
僕は大人になってから
一度も顔を合わせてない友達に会いに行く

というように、「友達」に会いに行くのがテーマの曲です。どんな「友達」? それはこの曲には書いていないのです。どうして会いに行くの? それも書いていないのです。でも、どちらも歌詞の中からにじみだしてきますよ。

歌詞はこちら→http://www.uta-net.com/user/phplib/view_0.php?ID=77551

動画はこちら→http://www.myspace.com/video/tamurapan/pv/54218209

構成

1連がイントロ(メロディはサビと同じ)です。2、3、4連とAメロBメロ、サビがありここまでが1番。間奏を挟んで、5、6、7連が同じ構成で2番になります。8連がCメロ、9連でもう一度サビがあり、アウトロがあって曲が終わります。構成自体はあっさりしていますね。

歌詞

この曲の設定

回転を加えてもっと自転車をとばす
桜色に染められた道を
 
卒業式の後かな

1連から2連の1行めにかけてはこんな感じです。この部分だけで分かることはどれくらい? 考えてみてください。ものすごくたくさんあります。
この曲の歌詞は、ほかの曲ではあまり見ないようなちょっとひねったシチュエーションを描いていますね。自転車に乗った「僕」は、古い友だちに会いにいく途中で母校の卒業式を通りがかる、というのがその内容です。このひねりのある状況も、一応ひととおり流れを追いかければスムーズに意味は通るようにできているのが巧みなところ。この曲では、2連がその状況説明の部分に当たります。
たとえば、この中の「卒業式の後かな」とっても、状況として卒業式を説明できるだけでなく、歌い手がそこにたまたま通りがかっただけであることを表現できますね。その1行前には「桜」がありますから季節感も出ますし、最初の行では歌い手が自転車に乗っていることもわかります。この冒頭の3行だけで、複雑な状況の多くが分かるようになっているのはすごいことです。

桜? 涙?

2連の4行めには「桜かな涙かな」とあります。普段は並べない組み合わせです。どうしてだろう?とこの近くをもう少し読んでみると、この2行前には、「泣きながら笑ってる」という表現もあります。どうも、両者は呼応しそうですね。「泣きながら」はもちろん「涙かな」に呼応するはずです。とすれば、「桜」は「笑ってる」と呼応するはず。
卒業式のあとだとして、涙の理由はきっと離ればなれになる悲しみや不安でしょう。笑顔は未来への期待や最後の思い出としての理由があるでしょう。この曲では、この涙と笑顔が行ったり来たりしている様子が、これから見えてくると思います。このふたつを軸に、この曲はずっと進んでいきますよ。
まとめると、

期待 不安
笑ってる 泣きながら

こんな感じですね。もしよければ先を読む前に、この表をもっとたくさん埋めてみてください。

2番で揺れる、期待と不安

1番の響きからは一転、2番では不安が頭をもたげます。1番に出てきた2つの軸は「」か「」でした。2番に出てくる「不安」は、2項対立の「」に呼応しますね。曲の全体を包み込む明るさを決して殺がないレベルで、2番は「」の方へと傾斜していきます。
Aメロは後半で明るい響きを取り戻しますが、そこで救いのヒーローになっているのは、「あのころより少しだけ大きくなったの木」です。「」は1番にも出てきましたね。「」は期待感の象徴なのでした。大きな期待が、不安を打ち消したのです。
それでもBメロに入ると、やはり不安が影を落とします。

大人になった僕だけど

と、

まだまだ足りない僕だけど

とは完全に逆の意味です。でもどちらにもネガティブな響きがあります。「僕」は行き過ぎかもしれないし、足りないかもしれない、と言っているように聞こえてきますから。4行めではきっちり否定してみせますが、それでも「僕」は現状に自信を持ちきれないままです。
サビに入っても、2番はやはり心がすっきりとはしません。「昔のままだよな…と」自分に言い聞かせていかなければやっていけません。でも、「」の部分があるからこそ、「」は引き立つのです。
書き足しておくと、

期待 不安
笑ってる 泣きながら
大きくなった桜の木 大人になった僕だけど
まだまだ足りない僕だけど

こういう感じになります。

ついに再登場する「桜」

」、つまり期待の象徴がもう一度登場するのは、Cメロです。BUMP OF CHICKEN『オンリーロンリーグローリー』では、心が生きていることに気づいたのがCメロでした。曲調も変わるCメロは、歌詞の意味の転換期を持ってくるのにうってつけ。

あぁ
桜が僕の肩に落ちる…

Cメロにあたる部分です。「」が出てきましたね! きっとまたポジティブな空気へと進んでいくでしょう。
さて、この「…」に注目しましょう。この曲にはほかにも「…」が出てきます。ほかの部分も引用してみますね。なにか手がかりになるでしょうか。
1個所めは3連に出てきます。

大人になった君達が
今描いている夢叶え
楽しんでやれます様に…

3連の「…」は願いを表していますね。

久しぶりってなんか怖い…

5連に出てくる「…」はまさに、内面に顔を出した不安な気持ちを表しています。

加速してく心はまだ昔のままだよな…

2番のサビに出てくるのは、自分に言い聞かせるシーンです。
さて、話を戻しましょう。「…」が出てくる部分に共通する特徴、それは、どれもが内面の心理を描写するときに使われてる、ってことです。
ということは、ということは、ですよ、

あぁ
桜が僕の肩に落ちる…

の部分だって、単に桜が肩に落ちたことを言いたいわけではないでしょう。「」が象徴するもの、つまり笑顔や期待が歌い手の中に宿ったことを、ここから読み取ることができると思います。先ほどの表を思い出してください。

期待 不安
笑ってる 泣きながら
大きくなった桜の木 大人になった僕だけど
まだまだ足りない僕だけど

こんな感じでした。
そして最後のサビに突入します。

桜色に染められた道を抜け

と歌詞は紡ぎます。「」を「抜け」るとはつまり期待する時期を抜けるということでしょうか。とすればそれはとりもなおさず、期待の内容と現実に向き合う時期になることを意味します。「僕」の場合には、「友達に会いに行く」ときがもうすぐそばに近づいていることを感じさせます。どきどき。なのにこの曲は、どきどきのままで終わります。うまいなあ。

「友達」とはだれ?

それにしても、サビの最後に何度も登場する「友達」。私は最初、それをすごく雑な表現だと思いました。例えば「“あなた”に会いにいく」なら、ベタですがきちんと伝わる表現になります。「友達」の前に固有名詞を載せてもいいかもしれません。たっぷり形容詞を加えてもいいでしょう。でも、この曲で私たちに分かるのは、その「友達」は「大人になってから一度も顔を合わせてない友達」であること、この一点だけです。「友達」を描写するには、どうも不親切な感じ。
ちょっと歌詞を離れて、たとえ話を聞いてください。例えば、
「そのとき、だれと一緒にいたの?」
と聞かれて、
「友だちです」
と答えた、そういうシチュエーションがあったとしましょう。この問答にどういう印象がありますか? 聞いた人と答えた人との間にはかなりの距離があるように思えませんか。まるで警察官による尋問のよう。
聞いた人が家族だったりクラスメイトだったり、もっと親しい人だとしたらどうでしょうか。
「そのとき、だれと一緒にいたの?」
「ゆうちゃんっていって、部活が一緒の友だち」
といった答え方になるのが自然なように、私は思います。そんな気がしませんか? たとえ話 終わり。
しかし、この歌詞では単に「友達」です。名前も分からないし、部活も分からないし、なにもヒントがありません。どうして?
私が考えたことはこうです。「大人になってから一度も顔を合わせてない友達」の中には、「僕」の姿が記憶されています。が、その「僕」は、ずっと昔のままの「僕」であって、今の「僕」ではありません。同じように、「僕」の中の「友達」の像は古いままのはず。今日、ふたりが出会うことによって、その記憶が更新されようとしています。
「僕」が、古い「友達」と目の前の人物とのギャップにとまどうように、その「友達」も、昔の「僕」と今の「僕」との間にギャップを見いだすでしょう。そしたらここでふたりは、過去の自分に出会うはずです。つまり、僕が出会うのは「友達」だけではなく、過去の自分自身でもあるのではないでしょうか。だからこそ、こんなに怖いのです。

2番は「涙」、そのあとに「桜」。では1番は?

積み残した1番に触れておきましょう。ここまでで、2番にはずっと「」が横たわり、そのあとに「」のイメージの歌詞が続いて曲が終わることが分かってきました。では1番はどうでしょうか。この曲は2項対立はこのようにはっきりしていますが、それは3項ではないようです。
結論からいえば、1番ではその2項対立がまだ自分のものでなかった、と言えると思います。先ほど注目した「…」を追いかけてみましょう。2番に2度出てくる「…」は、どちらも不安感を表現するところで狙ったように出てきます。Cメロの「…」は、気持ちが「桜」に切り替わるまさにそのタイミングで登場していましたね。では、1番では?

大人になった君達が
今描いている夢叶え
楽しんでやれます様に…

これは、明らかに自分自身に向けた感情表現ではありません。「君達」(=卒業生とおぼしいですね)に向けたメッセージです。感情表現は、自分自身へ向けられていません。1番では、あらゆることがどこか他人事なのです。2項対立には入りきっていないのですね。
最後に、サビのコード進行にちょっとだけ触れましょう。この曲にはサビのメロディが4回出てきますが、初めのほうのサビは後半のサビとコードが違います。前半はVImのコードからサビが始まります。しかも2小節ぶん変化なしです。ここの部分だけ聴くのではあまりぴんと来ないかもしれませんが、後半のサビはIVから始まります。こちらと比較してみると、メロディが急に生き生きとして聴こえてくるから不思議です。前半のちょっと退屈なコードと、後半の生き生きしたコードは、歌詞の内容ともリンクしているのです!
…と、偉そうに書いてみましたが、コードについては自信はないです(爆)。

まとめ

この曲は、「」と「」の対立の間を行き来します。1番ではその対立が登場しますが、「僕」は終始、どこか他人事です。それが2番では「」=不安感が厚い雲のように広がります。Cメロでそれは晴れ渡り、そしてそのあとに続く最後のサビにかけて、「」、つまり期待感にあふれた感情を表現していきます。
前回のつじあやの『風になる』と、この曲との共通点は“自転車”です。自転車の取り上げ方そのものとしては、『風になる』も『ちゃりんこ』も同じ方向を向いているように思います。どちらも、過去の、まだ若い「僕」や「君」に向き合う際の手段として自転車が登場します(このシンクロすごい!)。たむらぱんは自転車通学だったのかな?などと想像も膨らみますね。『風になる』では、自転車に乗って「風に吹かれてる」シーン、『ちゃりんこ』なら「回転を早めてこいで」進むシーン、と、それぞれの自転車の特徴の切り取り方もおもしろいですね。ほかにも自転車が出てくる曲はいくつか思い出せますが、そういえばみんな過去に向き合うための交通手段だったかも!



では、次回は2月20日“ごろ”の予定です。それでは。
ちゃりんこ

ちゃりんこ

↑サビを聴くだけで1番だとわかる(←)変態な私ですが、わからない人でもクリックすると続きが聴けます!

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