5日と20日は歌詞と遊ぼう。

毎月5日と20日に、J-POPやボカロ曲などの歌詞を読んだり、統計したりしています。twitterは@hacosato。

Chara『TROPHY』

-風を吹かせる女神-
あけましておめでとうございます。そして、このブログのちゃんとした記事のひとつめにようこそ☆
TROPHY
今回はChara『TROPHY』を取り上げたいと思います。2008年の1月にリリースされた曲です。ってわけで1月 取り上げるのにもぴったり。なんとなくの曲調は、ふんわりしっとりちょっと豪華で優しい感じ。私はイントロのスネアが好きです。

ねぇ、こころの人 明日はねぇ
ここにおいで みつめたい
手と手つないで 忘れない
愛は人を 守ってくれるの?

1連はこんな歌詞です。なんだかガーリー♪ とか思いますが、よく考えてみるとなにがどうなってるのかよく分かりません…。学校で習った言葉でいったら、動詞の主語が分かりづらいのです。たとえば

  • 「みつめたい」のはだれ?
  • 「忘れない」のはだれ?

なんて疑問をたくさん積み上げることができちゃうはず。このへん、どうなってるんでしょうね。しかも主語がぐるぐるしているのは1連だけではないみたいです。そのあたりからちょっと考えてみましょう。
歌詞はこちら→http://www.uta-net.com/user/phplib/view_0.php?ID=60392
構成はこちら→A-サビ-間奏-B-サビ-間奏-C-サビ'-サビ-間奏-アウトロ

Aメロだれがだれ?

さて、では冒頭の疑問に戻ってみましょう。1連をもう一度引用しますね。

ねぇ、こころの人 明日はねぇ
ここにおいで みつめたい
手と手つないで 忘れない
愛は人を 守ってくれるの?

こんな感じでした。
実は、ちょっと冷静になってみれば、主語そのものはわりとカンタンに分かっちゃいます。2行めの「ここにおいで」は「こころの人」に対する呼びかけですね。「みつめたい」のように「〜したい」って言い回しは主語を一人称にしたときにしか使いませんから、ここは歌い手が主語。「手と手つないで」はふたりの両方を主語にすることができますが、「忘れない」は再び歌い手が主語です。最後の行は「愛」が主語になるのでつまり三人称です。
でも問題は人称がどうとかそういうことじゃなくて、どうしてこんなことになっているのか、です。普通は文の途中で断りなしに主語が入れ替わるような文章はよくないものとされています。だって読みにくいもん。そんな観点でいったら明らかにこの歌詞だって読みにくいんですが、でもこれは、わざとなのだと思います。
だってしゃべっている途中で主語が入れ替わるのって、まるで小さい子がしゃべってるみたいです。
「あのねゆうちゃん、ミッキーちゃんがお腹いたくって、お薬を飲みなさいって言っても治んなかったけど、手術してもう大丈夫だからお祝いのね、ケーキをあげてよ」
小さい子、こんなこと言いませんか? こうやって文章にしてみると、主語がめまぐるしく移り変わっていっているのが分かると思います。例をたくさん出したりしませんけど、自分と母親とを区別しなかったりもしますよね。
主語が入り乱れるのって、こんな子どもの印象があると私は思うのです。つまりここから、歌い手と「こころの人」は親密なんだなあ、と私は思いました。

サビはどこが「ここ」?

サビは、

駆け出して 今 ここから

こんな風に始まります。あれっ?って思いませんでしたか? 1連に書いてあったこととちょっとちぐはぐじゃないっけ? そう思って私は1連を読み返しました。
1連には、

明日はねぇ
ここにおいで

って書いてあります。1連ではここに来てほしくて、2連ではここから駆け出していくのでしょうか。一度来てから折り返すの? どうして?
しかも見比べてみると、サビでは「今」。Aメロは「明日」です。明日来て、今駆け出すなんて、ますます分かりません。なにこの不思議な世界。私はしばらく途方に暮れました。
でも、ちょっと考えたら分かっちゃいました。さっき、動詞の主語が移り変わるってことに注目してたんですよね。1連でやってくる人と、サビで駆け出す人と、別の人だとしたら? それならなんにもおかしくありません。1連でここへ向かっているのは、「こころの人」でしたよね。じゃあ、サビで駆け出す人は? この曲にはそんなに登場人物はたくさんいません。サビで駆け出すのは、歌い手の側です。
つまり、「こころの人」は明日ここへやってきます。そして歌い手は今ここから駆け出すのです。そういう意味の歌詞だったらすっきりです。そうすると近い未来、ふたりはどこかで出会うはず。この直後の歌詞を読んでみると、

(あわせたい)

って書いてあります。ああそうか、「あわせたい」って「会」のことだったんだ!

Cメロ、「愛は通れるの」?

Aメロ、サビと順番に来たので、今度はCメロを考えてみましょう。
Cメロはまず、音の雰囲気からしてちょっと異質な感じです。このメロディを使う連はこの歌詞の中の全部を見渡してもここだけですし、だからこそCメロには歌詞全体の中で鍵になる表現がたくさん出てきたりもします。この曲ではどうでしょう? 二重かぎかっこでくくられた唯一の会話部分が目についたりもしますね。それにCメロ最後の

ゆううつのかけらを 一つずつ壊して
愛は通れるの?

って問いは、いまいち意味がぴんと来ないながらもなんだかずきんと来ます。
そういえばこの問いのかたちは、それぞれのAメロの最後にも出てきてましたね。

愛は人を 守ってくれるの?

青い鳥は 守ってくれるの?

って続いてきていました。なんだか同じようなイメージの問いが繰り返し登場します。
問いかけを繰り返すときっていうのは、たとえば答えに自信がわかないときです。ここもどことなくそういう感じがあるなあと私は思いました。愛も青い鳥もどうせ守ってくれやしない、ゆううつのかけらを壊したところで愛は通れはしない、という反語の意味に響いてきます。
ところで、Cメロには新しい要素であるゆううつが登場しています。その対義語はですから、この部分だけはゆううつの二項対立になっています。
さっき、ゆううつを壊してもが通れるようにはならない、と思ったところでしたよね。じゃあCメロ1行め、

『君がいないと 僕が壊れちゃうな…』

はどっちの発言でしょうか。どっちかなぁと両方とも考えてみたら。
なんと。
どっちでも意味が通るみたいです。つまり、ゆううつは互いに互いを必要としている存在だということが分かりますね!
繰り返しになりますが、この歌詞では主語は簡単に入れ替わってしまうんでしたね。わたしとあなたが渾然一体になっていて、互いが互いを必要としていて、だから互いの違いは大きいようで実はすごく少ない、みたいな関係が描かれているみたいです。
ところで、これ以外の部分については歌い手と「君」が登場する歌詞の世界でしたよね。ということはきっと、歌い手と「君」との関係も、ゆううつとの関係に似ているんでしょうね。は歌い手のほうかな? それとも「君」かな? よければそんなことも考えてみてくださいね。

そして『TROPHY』ってなに?

さて、最後にタイトル『TROPHY』について考えてみましょう。TROPHYとはもちろんトロフィーのことですが、トロフィーなんて言葉、この歌詞に出てきますっけ? 探してみても、直接は出てきません。でも、直接に出てこなくたって、ちゃんと登場しているんですよ。
歌い手は「君」に出会うまでに、

いつまでも 風を あつめて
これからの 君に あげるから

と歌っています。歌い手は駆けていきます。「君」もこっちに向かってやってくるんでしたよね。こっちからやってくる歌い手と、あっちからやってくる「君」出会ったときに風が生まれたとしたらどうでしょう。風こそ歌い手が「君」にあげたかったものだったんでしたよね。歌詞を最後まで目を通したとき、トロフィーと最も相性のいい言葉はここだと思います。歌い手は「君」に、トロフィーをあげようと歌っているです。
そのトロフィーは「風」からできています。風はふたりの移動がつくり上げています。ふたりの行動だけで、それだけの材料で、トロフィーはできあがっているみたい! ジャクソン・ポロックのアクションペインティングみたいですね。モノとしての材料を使わずに風からトロフィーを作るなんて、母性や神性のようなものも感じます。神話に出てきそうな話ですよね。
「あげるから」のほかにもうひとつ、トロフィーと相性のいい言葉がこの歌詞にはあります。2番の最後「僕たちで 飾ろうね」です。君にあげたトロフィーを飾るのは僕たち。字面だけだと少し不思議な感じもしますが、もともとトロフィーはこのふたりのアクションの賜物です。「君に あげるから」だって、親子の間でのおもちゃのやり取りのような、ちょっとおどけた響きを感じます。もともとトロフィーはふたりのものなのです。あっ、「(あわせたい)」は、「(力を)合わせたい」、のように、「合」の漢字を当てることもできますね。二重の意味を持たせきれるように、ここはひらがなになっているんでしょうね。

まとめ

では、最後にまとめてみましょう。
この曲の大きな特徴は、主語がくるくると頻繁に入れ替わっていく、ということです。だからこの曲のそこここから歌い手と「君」との親密さが浮かび上がってきます。
そんなふたりは、トロフィーを行動によって作り出すことができるみたいです。ふたりが出会う、そのときに巻き起こる風が、ふたりのトロフィーになっていきます。そうやって作ったトロフィーはふたりのものでしたね。
ここで、前回 取り上げた曲との比較もしてみましょう。前回 取り上げたBUMP OF CHICKEN『オンリーロンリーグローリー』にもトロフィーが出てきます。描かれ方はどんな風に違うのでしょう。
『オンリーロンリーグローリー』は、主人公がどんどんアクティブなほうへと変化しているのを描いた曲でした。この中でトロフィーは繰り返し出てきますが、トロフィーは「貰う」ものであり、「狙う」ものでしす。アクティブなほうへほうへと主人公が変化していっているのにも関わらず、最後までトロフィーは所与のものですね。
この点で、『TROPHY』と『オンリーロンリーグローリー』とは大きく違います。『TROPHY』ではトロフィーは作り出すことができるものです。『オンリーロンリーグローリー』ではトロフィーは最後まで手に入れる対象でしかないのです。
だからって別に『TROPHY』のほうが優れた歌詞だということではありません。確かに『TROPHY』のほうがトロフィーを普段と違う風に捉えているから(普通、トロフィーは自分で作ったり自分で飾ったりはしないものです)それがおもしろさにつながっています。でも『オンリーロンリーグローリー』ではトロフィーの捉え方を次々と変化させることによって、その裏で主人公の変化を示していますよね。いい/悪いじゃないのです。その違いを味わうのがおもしろいのでした。



このように、共通点のある歌詞を比較していくことによって、その描かれ方の違いをあぶり出すことができます。そうすると今度は、アーティスト同士の比較としてもおもしろくなっていくかもしれないですね。今回はかなり大きく異なっていたので比較のしがいがありましたが、比較しても面白みに欠けることも今後 多くあると思います(汗)。
次回は1月20日“ごろ”を予定しています。『TROPHY』の歌詞と共通点のある別の曲を取り上げていこうかなと思いますのでお楽しみに。
※この記事は2010/06/06に大幅に加筆修正しました。前のとは別モノになってます。
TROPHY

TROPHY

honey

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TROPHY(Album Version)

TROPHY(Album Version)

↑クリックすると続きが聴けます。アルバムで隣同士になっている『Sumire(Intro)』という曲も試聴できるので、合わせてとてもオススメ♪

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