語用論的にきついタイトルになっちゃった…。
先日、わたしが日本言語学会の夏期講座に行って、言語学にお熱になっているところまでお話したのでした。
hacosato.hatenablog.com
今回はそのときの続きです。言語学に関する知見が、どういうふうに歌詞の話とリンクしてくるの?って話をします。
妄想はたくさんあるんですが、知識や経験が足りないところも多いです。
隙の多いことを書いて、そういうところは詳しい人のアドバイスをいただきたいメソッドです。
言語学のジャンルごとに、考えたことをまとめました✨ ではいきます!
音声学
言語学の入門書だとわりと最初の方に配置されがちな音声学。
言語の音声としての特徴に注目するのが音声学です。
さっそくですが、DA PUMP『U.S.A』という曲でこれを考えてみます。
この曲の歌詞にはこういう部分があります。
C'mon, baby アメリカ
ドリームの見方をInspired
この「ドリ」の部分とか「-red」の部分とかは、1つの音符に対してたくさんの文字がぎゅっと乗っています。
一方で、AKB48『恋するフォーチュンクッキー』という曲があります。
この曲の歌詞にはこういう部分があります。
恋するフォーチュンクッキー!
未来は
そんな悪くないよ
この「フォーチュンクッキー」には、「フォ」「ー」「チュ」「ン」「ク」「ッ」「キ」「ー」の音ひとつひとつに、音符が割り当てられています。
歌詞に音符を当てはめることを譜割りといいます。この2曲は、譜割りのルールがまったく違います。
the 8 riseさんはこのふたつの譜割りをそれぞれ、「シラブル的」、「モーラ的」と呼びました。
lyricstheory.com
シラブルとモーラは両方とも音声学に起源を持つ言葉で、言語の音の区切り方を示しています。
こういうタームを知ることによって、いままで気づかなかった譜割りの特徴をはっきり話せるようになります!
the 8 riseさんの論考には出てきませんが、この上位にフットなる概念があり、これを援用することによってたとえば「墾田永年私財法」がなぜ気持ちいいリズムなのかを説明することができます。最高ですね✨
今後の研究課題の例
音韻論
つぎは音韻論!
いきものがかり『ありがとう』のサビの部分を聴いてほしいんです。
https://itunes.apple.com/jp/album/%E3%81%82%E3%82%8A%E3%81%8C%E3%81%A8%E3%81%86/569924441?i=569924448&uo=4&at=10lrtS
吉岡聖恵さんは「ありがとう」の「が」のところを[ŋa](んが)みたいに鼻にかけて歌います。これをガ行鼻濁音といいます。
西野カナさんには鼻濁音は出てきません。『運命の人がいるのなら』を聴いてください。
「運命の人が」の「が」の発音は舌を使って喉の奥で気道をふさぐ、[ga]っていう感じです。同じ「が」なのに、発音がちがうんですね。
ある特定の言語において音の違いが意味の違いに関係するかどうかによって設定された単位を音素といいます。吉岡聖恵さんの[ŋa]と西野カナさんの[ga]は、意味の違いにはかかわらないので同じ音素に属しています。でもべつの音です。
音韻は言語によって体系を持っています。ここでは吉岡聖恵さんと西野カナさんの体系が異なることがちょっとわかりました。
これは優劣ではなくて、使い分けの問題だとわたしは考えています。適切な場所で適切な発音ができることに意味があると思っています。今回はどちらもステキ!
ガ行鼻濁音を使って発音すると、鼻にかかるので音を共鳴させやすくなります。使わずに発音すると、有声だけど閉鎖音になるのでその点で歯切れがよいイメージを出せるんですよね。
今後の研究課題の例
オーセンティックな東京方言では、ガ行鼻濁音は語頭以外のところで発生することになっています。でも吉岡聖恵さんは語頭でもガ行鼻濁音を使っているみたい(『未来予想図II』で「いつもブレーキランプ 5回点滅」の「5」のところで鼻濁音を使ってる)です。東京方言と同じ音韻体系を持っているボーカリストはいるでしょうか?
鼻濁音の他にも音韻体系に影響が出やすいポイントがあります。たとえば[gʰa]みたいに有気音で発音されるパターンとかもあります(平井堅さんとかそうっぽくない?)。母音の無声化みたいに、規則的に発生するものでしょうか?
形態論
椎名林檎『丸ノ内サディスティック』という楽曲があります。
わたしはこの曲のリアタイを知らないんですが、おそらくこの曲が出るまで、わたしたちは「丸ノ内」と「サディスティック」を結びつけたことがなかったと思います。
だからこの曲を初めて知ったとき、「丸ノ内」と「サディスティック」を結びつけるようなストーリーをわたしたちは歌詞の中に求めました。
そして椎名林檎さんは歌詞の中でそれに応えようとする、という相互の引力がここに発生しています。
リスナーが知らない曲に興味を持ってもらうのは難しいことです。椎名林檎さんは単語の組み合わせをタイトルにするというテクニックによってその困難を乗り越えようとします。
作詞家のいしわたり淳治さんはこのテクニックに「ごくせん方式」と名前をつけています。「極道」と「先生」の間には距離があって、それを作品の中で結びつけてストーリーにするという試みです。
言語の中で、後の構成について研究するのが形態論です。
その例としてこんな話をしてみたものの、これってもしかして語彙論ではないですか…??(根本的課題)
今後の研究課題の例
- 形態論についてちゃんと勉強します……(形態論だけ中身が薄くてごめんなさい)。
さて。今度は湘南乃風『純恋歌』についてです。
Aメロの歌詞はこういう感じ。いろんなところで話題になる有名な歌詞です。
大親友の彼女の連れ おいしいパスタ作ったお前
家庭的な女がタイプの俺 一目惚れ
この1行目、実はけっこう多義的です。彼女の連れが大親友なの? それとも大親友に彼女がいて、って話?
それをおもしろく書いた増田があるのでよかったら読んでね。
anond.hatelabo.jp
この時点で、「
大親友」、「
大親友の彼女」、「
大親友の彼女の連れ」の他に謎の「美味しいパスタ作ったお前」の4人が登場している可能性がある。
わかるよ。
さてここで正しくこの文の組み立てを判別するにはどうしたらいいんでしょうか?
ひとつは、人物の部分を「あの人」に置き換えることができるか?という方法でチェックする、って手があります。
あの人の連れ おいしいパスタ作ったお前
これは成立する感じがします。「あの人」=「大親友の彼女」と言えるから。でも、
大親友のあの人 おいしいパスタ作ったお前
これはなんか変な感じです。「あの人」=「彼女の連れ」と想定して、機械的に置き換えてみることはできますが、それはこの歌詞の内容と合っていないと思います。
ということは、この部分は
[[[大親友]の[彼女]]の連れ]
という構造を持っていることが予感されます。これを構成素テストといいます。
これを木の枝のように描く方法があります。視覚的でわかりやすいですね。
こうして文を生成していくのが統語論です。いろんなところで名前だけよく聞く生成文法とかはこのジャンルとつよく関わりがあります。
有名な「頭が赤い魚を食べる猫」も同じ分野の話と認識しています。ですよね…?
今後の研究課題の例
石川啄木に「東海の小島の磯の白砂にわれ泣きぬれて蟹とたはむる」という短歌があります。これも「大親友の彼女の連れ」と同じ形の、頂点から左下に向かってストライプが流れるツリーを描きます。歌詞や短歌はこういうツリーを描きがちなのでしょうか? どういう効果があるでしょうか?
ほかにいろんなパターンのツリーを描けそうな歌詞はどんなものがあるでしょうか? どういう風に書き換えるとツリーは一意に定まるでしょうか? 一意に定まらない歌詞であることにどんな効果があるでしょうか?
語用論
SEKAI NO OWARI『RPG』という曲があります。
hacosato.hatenablog.com
サビの歌詞はこういう感じ。
空は青く澄み渡り 海を目指して歩く
怖いものなんてない 僕らはもう一人じゃない
この部分を見て、わたしたちは思います。「僕らはもう一人じゃない」って歌われるってことは、「僕ら」が一人だった過去もあるんだな、と。
言語哲学者のグライスは、協調の原則というものを提唱しました。
会話の段階で、あなたが行なっているやりとりの共通の目的・方向という点から、要請されるだけの貢献をせよ。
会話には目的があって、ひとつひとつの発話は会話の目的に合わせてちゃんと貢献があるようになされるはず、というものです。
その内訳は、4つに分かれています。
1.量の原則
2.質の原則
3.関連性の原則
4.様態の原則
ここでは深く立ち入りませんが、会話の中で突然「僕らはもう一人じゃない」と発話があったら、関連性の原則を犯しているものと考えられます。こういう発言をするためには、過去に一人ぼっちだったこととかがないと変な感じです。
こういう表現を織り込むことによって、直接的に表現されていないこと(ここでは過去のこと)を聴き手の脳裏に浮かべることができます。
このように会話文脈を拠り所として伝達される意味を会話の推意と呼びます。
推意をうまく活用した歌詞、J-POPにはたくさんあると思うんですよ〜。めっちゃ沼だよここ…。
今後の研究課題の例
- 聴き手のイメージを途中で裏切るような歌詞は、推意を裏切ることで新しい効果を発揮していると解釈できると思います。そのような歌詞、たとえばどんなものがあるでしょうか? グライスの4つの原則のどれに当てはまるでしょうか?
- 『丸ノ内サディスティック』などを引いて考えた「ごくせん方式」のメソッドは、語用論で理論的な後ろ盾をもつように思います。ほかに、語用論でうまく説明できることはあるでしょうか? ジョークとかどう?
文字論
一青窈『もらい泣き』という曲があります。
hacosato.hatenablog.com
この曲の歌詞はこういう感じ。表記はかなり独特です。
ええいああ 君から「もらい泣き」
ほろり・ほろり ふたりぼっち
ええいああ 僕にも「もらい泣き」
やさしい・の・は 誰です
「やさしいのは誰です」の部分とか、とくべつほかと違った歌われ方をしているわけではないのに、「やさしい・の・は 誰です」とナカグロで区切られて表記されています。
ところで、宇多田ヒカル『Automatic』という曲も見てみます。
七回目のベルで
受話器を取った君
名前を言わなくても
声ですぐ分かってくれる
この曲は「な、なかいめのべ、るで」という感じで区切られて歌われています。でも表記は「七回目のベルで」と、特別な区切りを感じさせない歌詞になっています。
言語の音声と表記の対応についてや、表記の手段である文字のことについて考えるのは文字論の守備範囲です。
日常生活していて、会話で表現されたことを文字に起こすことに不便を感じることは少ないように思います。
でもよく考えてみると、口から出たことばが文字になるときに抜け落ちてしまうことはとてもたくさんあります。
逆に、文字だからこそ付加できる情報もたくさんあります。
今回は区切りに注目して取り上げましたが、ほかの観点もたくさんあるはず。
歌詞においては、少し広くとって表記のことを考えると楽しい話題が多いように思います。どこまでが文字論の範疇なのか自信ないけど…いいよね??
今後の研究課題の例
- J-POPにおいて、歌われるけど文字にならないものにはどんなものがあるでしょうか? たとえば繰り返しは歌詞にどう表記されるでしょうか?
- 音で聴いているだけだとわからないけど、歌詞として文字になったときに初めて新しいことがわかる、という仕掛けがある曲があります。どんなものがあるでしょうか? わたしが思いついたのは当て字です。ほかにもあるかな?
ということで、ここでおしまいです。
補記
さて今回の言語学のジャンル分けは斉藤純男『言語学入門』をベースにしました。
著者のご専門が音声学ということもあり、どちらかというと音声学に重きが置かれている感じです。
でも全体的には1冊で見通しが聞くしひとりで書かれているみたいなのでとてもよいです。ひとりで書かれている本が好きなんですよ統率取れてるから。あと表紙もあざとかわいい。
この本の目次の順序に従って今回書いてきましたが、まだうまく考えられないと思ったところは飛ばしました。社会言語学とか、もしかしたら歌詞と絡めて楽しい研究ができるのかもなと思うんだけど…。
音声についてはこの本を読んでお勉強しました。
音声は言語に依存しないものなので、油断するとテキストは英語とかになりがちなのですが、日本語で学べると内省がきくのでとってもいいと思います。
日本語母語話者が大学で学ぶ教科書みたいな感じの本。いつも座右に置いておける頼れる1冊です。
音声についてはたいせつな本がもう1冊あります。
こちらは日本語学校の先生が日本語を教えるための本。いつも意識してなかったことが前景化されて、目から鱗がぼろぼろ落ちます。
「フット」という概念をわたしはこの本で知りました。
語用論についてはこの本で。
目次はこういう感じです。
books.kenkyusha.co.jp
この章のひとつひとつについて「これって歌詞でいうところのコレのことだ!!」という発見があり、読んでてわりと興奮と発見がありました。
章ごとに書いてる人が違うのはそんなにスキじゃなかったんですが、それを補って余りある充実の内容です。
今回語用論について引用した部分の出典はすべてこの本です。
最後に少しだけ触れた歌詞の漢字の当て字に関してはなんと辞書があります。
ぱらぱらめくるだけでもめっちゃおもしろい!!
ほかにも言語学の本はいくつか持っているんですが、ご紹介はまた今度ね。
これからもお勉強しつつ、歌詞について楽しい知見が得られたらいいなと思っています。
おかしいところあったらぜひツッコミをください。ではおやすみなさい!